地獄商会公式ホームページ/日記Anti起床!1

 

 

地獄商会


↓                                                              ↓

☆ 過去の天守日記(重複してるものも有り) <1> <2> <3> <4> <5> <6>         ☆ 過去のゲストブック(重複してるものも有り) <1> <2> <3>

日記Anti起床!

2023.12.23 更新

新しいページ ←・・・<1><2><3><4>・・・→ 前のページ



★★ お客様各位・ご覧下さい ★★
↓↓↓

● 年始のお知らせ ●
(2024.01.07)


● 日記Anti起床!ページ更新しました ●
(2023.12.23)


(※ ↑↑↑ クリックするとページに飛べます)


♦ 今年も1年ぶりの更新になりました。 ♦
(2023.12.23)

またまた丸1年以上放置で申し訳御座いません!!
超絶久しぶり、常に1年もかかる更新。皆様本当にすいません。
しかも何やかんや最近バイク修理ばかり、昨年に続いて不動車両のリストアが続きました。


昨年は長年かかってしまった1981年型のショベルヘッド、XLH1000 SPORTSTERをようやく納車。
続いて今年は少々古い年式のYAMAHAのSR400ベースでカスタムされた物を仕上げました。
今回は寸法やら記載変更も有ったので茨城の検査場まで出張、あちらで車検を受けて納車しました。
実は昨年のXLHも海の近くの街まで運びましたが、ウチのクルマにはチト載らず、去年は軽トラをレンタル。
今回の茨城出張はウチのスバル軽四バンで運べましたが、400ccを載せて走れる660ccって何だか凄い気がしています。

因みにSRの修理箇所はかなり多く、全体の7、8割近く手を入れたかも知れません。
そこは昨年のXLHも同じ、かなりの修理箇所で、アレも80ヶ所以上は直しました。
今回のSRも各部バラバラに分解して仕上げて行きましたが、修理箇所が多過ぎてとても書ききれません。
なので細かい説明は省きますが、今回の車両はフレームがチョップされていて、車検にパスしない部分も多々。
どちらかと言うと『ルックス重視』で仕上がっていた為、実走するのにはアチコチ難有りで、まるでショーモデルっぽい雰囲気でした。
なのでそれをもっと実用性に振り、気を遣わず普通に走れ、そして今後は普通に『車検に通る』よう考えながらのリストア、リペア。
去年納車したXLH1000 SPORTSTER同様、F&RエンドのOH、クラッチ周りや吸気と排圧の修正、電気系、ホイール含めた駆動系、可動部分、制動系、その他もっともっと色々、とにかく時間かけて煮詰めました。

修理、修正はメカニカル的なものをメインにやりながら、一応『見た目』も手を入れさせて頂き、更に楽に乗れるような対策致しました。
スタイル的には昨年のXLHの時は少々雑然としていたバランスを修正、錆の化身のような姿を化粧直し、なるべく美しいシルエットに上がるよう、各パーツの取り付け位置も微調整しましたが、アレも実はけっこうフォルムのバランス取りは神経使ったんですが、もしかしたら『その変化』に気付かなかった人も居たかも知れませんネ。

今回のSRに関しては。
オーナーさんが美的感覚の鋭い、デザイン面のスキルにたけた人なので、そこは必要以上に緊張して作業しました。
しかも元々『ルックス重視』で仕上がっていたバイク、元からかなり均整の取れたスタイルなので、そこをどうアタックして行くかは中々ハードルが高かったです。
ただ反面、やはりルックス重視し過ぎると機能面では少々難が増えてしまうのが常、そこは絶対反比例が起きますよね。
そういった無理が有る各部を、先ずちゃんと機能して調子良く走るように修正しながらカッコ良さを無くさないように。
元はボバー風というか、ちょっとディガーっぽいフォルムも混じり、どちらかと言えば一昔前に流行ったロー・ロングなスタイルで。
ウチを知ってる方々はご存知の、昔々の旧友?旧い知人、現チャボのキム氏が火をつけた、あのスタイルの影響??って感じの姿の物を、オーナーさんが中古でそのまんま購入した車体。
元は何処かのカスタム屋さんが造ったもんらしいのですが、当時はホント流行って、もう猫も杓子もアチコチのSHOPが真似して、アレっぽいカスタムバイク造ってましたから。
とにかくそんなソレを、もっとジェントルで落ち着いた渋めのフィーリングに変更、軌道修正。上手く表現出来るか不安ですが、アメリカン路線だったもんを、ブリティッシュ路線に変更??みたいなもんかも知れませんネ。

その辺りは若い頃から知っているこのSRのオーナーさん。
メリケン米国スタイルよりか、音楽も服装も、ずっと英国グレイトブリテンなもんに魅了されていた方で。
オーナーさんは現在も少々旧いトライアンフのボンネビル750を愛するバイクメーン!!って事で、だからこそなるべくロッカーズなフィールは大切にしながら。
とは言え、オーナーさんもとっくにシルバーエイジ。アダルトでもまだ何処かに若さが残ったヤングアダルトな尖がった雰囲気にする訳にはいかないので。
そこはあまりワルっぽくしないように(笑)、紳士的なフィニッシュ目指し、笑顔が似合う年老いたTEDSみたいなエッセンス空想しながら。
でもこのオーナーさんはマジで美的センスがハイスペック、加えて家とか建物とか自力で造っちゃうし、サウナやピザ窯とか、そういった物なら1人で全部で自作してしまう実力も持っているのがこのSRのオーナーさんで。
なのでやはりかなり神経使いましたね、機能面は基より造形まで、特に外装のバランス取り、シルエット変更に着手したのは。
ある意味『プロ相手』に作業請け負ったのと似ていて、それこそ決死の覚悟でトライ、上手くいったのかは正直今でも分かりません。

そしてこれは仕上がってから気付いたのですが、さっきのキム氏、彼と僕が出会ったキッカケになった単車。
僕が1970年代にこしらえたホンダSL125改、何処となくあのバイクのフォルムと少し似た気がしています、このSR。
あくまで偶然の産物、偶然の一致、まぁ件のSL125も今回のSR400も、何しろ『造ったの同じ人』⇒つまりどっちも僕がこしらえた物。なのでたまたま似ちゃったのもある意味仕方がない??ンかもわかりませんけども(苦笑)。

尚、昨年のXLHも今回のSRも、全くの放置車両、不動車からの修理や再生でした。
フルレストアと呼ぶレベルだったかも(リストア?レストア?発音はどっちが正しいのかはよく分からんのですが)。
ただXLHは雨ざらし、今回のSRは室内保管、作業的な手間と言う点では多少違いも有りましたが。
でもこれは自分だけかも分かりませんが、リストアって地道にとにかくコツコツ時間かけないとダメ、焦るとあまり良い結果得られず。
加えて僕は作業が素早い器用な人間じゃないので更に時間を要し、その辺りはいつも皆さんをお待たせしてしまうのが心苦しい限り、そこはスキルが低くて恐縮。

でも例えば、ステムベアリングやフォーク、大体のバイクが2、3万キロ位でけっこうガタガタになりますよね。
ネックのベアリングやFフォークって意外と気にしていない人多くて。実際走ってるオートバイの下手すりゃ8割ぐらいソコ劣化してますもん。
なのに劣化しているのを意外と気付き難くて、それを『そのバイクのクセ=味』と勘違いしてた赤っ恥じ経験は自分にも心当たり有ります。
例えばタイヤやホイールのベアリングや、ソレは気にするのにフォークやステムベアリングは放置っていう車両は本当に多く、首チョンパ必須、分解&組み立て細心の注意、調整は慣れが要る、なのでけっこう無視しちゃう部分かも分かりません。
けれどソレ直すと驚く程バイクが素直になり、『え?この単車、こんなに乗りやすかったの?』と思うのがコレらの効果で、つまり『味』なんてもんは単なる勘違い、直してみたらば単なるメンテナンス不足だった事を痛感した経験が何度も有ります。

それ程、ステムベアリングやFフォーク直すと本当にビックリする程扱いやすく。
ある意味『ワタシ運転上手くなった???』と錯覚する位だと思いますよ(笑)。
今回のSRも昨年のXLHも唖然とする位にクセ無くなって素直になりましたが。
でもクセが強い単車こそワイルド!!と思っていたいバイク乗りも多いし、そういう意味ではもしかしたら直さない方が、ある意味『幸せ』な人も多いんでしょうかね(汗)!?

そしてエキパイポートからの排圧漏れ防止も似たようなもんで、対策するとマジでトルクフルでイージーコントロール、昨年のXLH1000 SPORTSTERもセカンド発進可能、トップで40キロまで落としてもギクシャクせず、楽々走れるように変化しました。
ソコからスロットル1つでバリバリ加速するオートマチックな性質に生まれ変わりましたが、ショベルヘッドのスポーツスターは少々扱い難いバイクだと思い込んで『コレが醍醐味=味なんだ』と勘違いを頭に刷り込まれていた人々には、ある種の衝撃?ショック?かも分かりません。
イージー&マイルドになったその結果、多少ガッカリする人も居るのかなぁ??結果的には乗り易くて静かでクイックになるんですけれど、荒々しさみたいなもんは少し減り、下手すりゃノーマルよりイージーになっちゃいますけど、実際のスピーディーより『体感的な速さ(※実際はそこまで速くない)』のが好きな人って、やっぱ多いからなぁ。
とはいえやっぱり無視出来ない、そこは今回のSRも同様で、これらの修正や対策、自分の単車で色々試し、良いと思った以上はフィードバックさせないと。
下手すりゃ工場出荷状態より格段扱いやすくなるし、改良とかの部類になるのかもわからんですが、けれどもやはり乗り難い=ワイルドって価値観だと『ヤダ!』と思う人も居るかも知れないですネ。
もしかしてこれって大きなお世話なのかもなぁ???なんて、ショベルヘッドやチョッパーをマイルドにしてしまう事。原チャリ並に低速からスロットルワークのみで楽チン加速するようになるからシフトロスが無い分、修正加工後はノーマルより返って速いんだけどナ…。

それから。調子悪いとつい『原因はキャブ』と思う場合って多いんでしょうネ。
実は僕にも経験が有るので少し分かる気はします、大昔、もう若い頃の事ですが。
バラして組んで、そういうのにドンドン慣れて少し知識がついて来ると、やたらキャブいじってセッティングに躍起になり、まるで全ての中心がソコ!みたいな錯覚して。
でももっとドンドン経験積んでくと、それはトーシロ的な浅はかさだった事に気付く。イマイチ調子が出なかった原因、排圧漏れや電気ロスのが多かったですよ実際は、キャブなんかより全然。
その証拠に前回のXLHも今回のSRも。どっちの車両もキャブはOHしてマニュアル通りの数値で組んだだけです。
ジェット類や中身、その辺りは幾つか用意して様子は見ましたが、パイロットスクリューは常に規定値のみ。エンジン暖めてからパイロットスクリューをグリグリ、そーゆーのは一切せず、不要。
データ通りに組み上げてパツイチ始動、そのまんまで調子バリバリなんですよ、まともならキャブレターって。特にパイロットスクリューなんて何度もグリグリ回しちゃダメ。
そこは凄くデリケートなので何度もやったらそれでホント駄目、NG。内部の小さなOリングなんてグリグリ繰り返したらもう終わり、再び新品に入れ換えないとまずくて、つまりあんなトコ、ウッカリうかつにイジくる部分じゃない、本気で調子良くしたいなら。
電気がちゃんとしてて、排気ポートから圧の漏れがなければ、大袈裟にキャブレターをイジくり回さなくても、普通にアイドリングも安定しててそっからクイックに強力に吹け上がる。
だからパイロットスクリューなんて規定値オンリーで下手にイジんない方が良くて、ジェット類とかニードルとか、そういうもんを幾つか準備しとけばOK、パイロットスクリューで調整しないと調子出ないならば他が合ってないか、何処かがおかしいんですよね。
それより排圧がどっかから漏れますと、キャブがまともでも燃調狂う訳で、アイドリングだって不安定になるし、トルク不足になりレスポンスも悪く、無駄にスロットルひねるから燃料吸わせ過ぎてプラグもくすぶり気味、燃費も悪くなる。
他にも排気リークすると、例えばマフラーエンドから煙吹いて、それをオイル食いか何かと勘違い、それでそれなりに走ってるもんバラすもんだから、バルブだリングだ、当然アチコチ劣化も見付かるから『こりゃフルOHだな』と。
そんで大金使ってあーだこーだ、下手すりゃ家計も圧迫しますし、ホント阿保みたいにドンドン大袈裟な話になってっちゃう訳です。
因みに排気の漏れを遮断するとマフラーからの煙止まる場合も多々で、つまりそれはオイルじゃなくて燃料、排圧抜けで狂ったミクスチャーによって起こっていた不完全燃焼のガソリンの煙だった訳ですナ。
それから排圧って気体なんですけれど、油とかの液体と気体って、どっちが小さな隙間から漏れやすい?って事、ソコを考えて貰うと少し解りやすくなりますかね。

もちろん燃料まともに来てなかったり、二次吸気もダメなんだけれど、ケーブルやプラグや、その他の色々も、オール当たり前として。でもね、まだまだホントに排圧無視してキャブの事ばかり気にする話ってすごく多くて。
先程お話ししたように自分にも無知過ぎてキャブレター周辺ばかりにやたら気を取られた黒歴史は有るので分かるつもりですが、本当に排圧って、排気ロスって忘れがちなトコなんですよね。
そしてキャブって機械イジリに魅力感じている人にとって妙にそそるシロモノ、ちょっとディープな気がして悦楽的アイテムの1つみたいな、そんな感じかも知れないので。
排圧不足以外でも、電気的ロスによる点火系の電圧不足なんかもキャブの燃調に影響及ぼすもんの1つで、やっぱりセッティング狂ったような現象起きたり、プラグに異物ついたり焼けが変だったり。
それらを改善した途端にプラグも綺麗に焼けて『何だコレが原因だったのか!?』なんて、けっこうピントのズレたトコ気にして肝心な部分を見落としてた事に気付く訳ですよ。

免許取ってからそろそろ50年になり、半世紀ブランクなしでずっとオートバイと共に過ごして来てます。
単車人生を真っすぐ歩んで来たかどうかまでは分かりませんが、それでも色んな事が有りました。
走っててミッション割った事も幾度か有ったし、OHCのカムチェーンが中でバラけてシリンダーの横のカベ削れちゃった事も有りました。
あまりユックリではないスリ抜け中にオイルパン割れてエンジンから黒い噴水パニック、真夜中に田んぼ道で電装死んで真っ暗になってそれでも走ったり、ショベルXLHで木更津から中野までレギュレーター無しで走り切ったり。
HONDAでバルブが欠けたけど無理矢理動かして帰って来たり、コイルが死んで予備がなくてハリガネ叩きこんで無理矢理点火させて高崎から帰宅したり、パンクしてホイールだけで走った事も有りました。
ハーレーでケーブル切れてノークラッチ帰宅、ホンダで指にケーブル巻いたスロットル操作で帰ったり、XLHはインマニ破損してキャブを足で押さえながら帰宅した事も。
4輪も深夜に山梨でガケから転落して大破、ガラスは割れてボディも裂けて、おまけにホイール1つ大破損、でも奇跡的にエンジン死ななかったので残った3輪だけで自走、直進は何とか走るけどコーナーでは地面に擦るからボディは溶け、それでも上野まで走り切った思い出。
そんなこんな色々でしたが、それでもエンジンなんて中から異音がしてからで全部間に合いましたし、それらを乗り越え、直って復活、よみがえったから今が有る。
もちろん人によってはそれらのトラブルで諦め、買い換えちゃったり、廃車しちゃったりするのかも分かりませんし、ボディが溶けてシャーシーが歪んでしまったあのカローラだけはさすがに諦めましたが(涙)、他の車両、特にバイクはどれも大体今でも動いてますよ。

取り敢えず『やたら開けるなエンジン』『やたら触るなキャブレター』と思っております。

でもどうか、これだけは忘れないで下さい。
自分のバイクと、どう付き合おうが誰にも怒られない。
それで能書きしてくる奴なんてどうでもイイんだから。

そんな訳でSRも前回のXLHも。中々調子良い車両に生まれ変わったと思います。
尚、SRの不動になった直接の原因は、恐らく電気系統と排圧リークだった可能性大。
それに加えて車体のアチコチ、ベアリングやらフォークやら、クラッチ、ホイール、各部がバランス崩していたという感じで。

SRも納車が済んで、自分の単車も少し修正。実は自分のXLH、シートをリニューアルしました。
シートベースは自作、ウレタンと表皮を群馬のランブータンバイクシートさんにお願いしました。
ランブータンさんはもう1台の所有車、FLDスイッチバックのシートもやって貰い、素晴らしいクオリティだったので再度お願いした次第。
前回のFLDと同様、今回もタックロールの柄は自分でデザインしましたが、面白いアイデア浮かんだかな???
既存にない新しい図柄が描けた時はけっこう興奮、タックロールのデザインって中々刺激的な気がしていて、面白いというか妙にハマります。
靴っぽいフォルムでアルミ板からベース造ったんですが、先ず型紙作ってアルミの切断は群馬のラッツクルーさんに工作機械借りに行きカット。
けっこうご存知ない皆さんもいらっしゃるようですが、実は僕は工場の倅。生家は120%機械屋、機械メーカーの息子として生を受けた身の上。
ですのでこう言った機械は実家の工場でガキの頃、親の目盗んでいじった思い出が有り、なので久しぶりに触れたのは本当に嬉しく、何か心が洗われる気がして天国の親父に久々会いたくなりました。快く大切な機械を貸してくれたラッツクルーさんには改めて感謝申し上げます。

シートの話に戻り、ベースは3mmのアルミだったので曲げるのは少々試行錯誤しました。
店の棚のフレームパイプをローラーマシンの代用に何とか無事アールをつけられましたが、取り敢えずエッジは指で触ってスベスベになるまで滑らかにして、ブラインドナット打ち込んでベース完成。
粘土でシートのミニチュア模型を造り、原寸のタックロール図面とウレタンの厚みorシルエット型紙を準備、それをランブータンさんに送ってイメージを伝え、表皮とウレタン貼りをお願いしました。
タックロール図柄はナスカの地上絵みたいのをイメージしながら、他にもエジプトとかスフィンクス、ツタンカーメン?ピラミッド?謎の円盤UFO??タイムトンネル??何となくそういった感じで。
カラーリングも特注しましたが、SFチックなタックロールと相まってかなり気に入っており、元々は持病の緩和にNEWシートを造る決意したんですが、座り心地も良く、正解だったと思います。

それから長らくお待たせしていたHONDAゴールドウィングGL1000用のサイドバッグ、フルオーダーにてワンオフ製作、先日無事納品させて貰いました。
黄色希望、そしてソフトなバッグ、カチッとした雰囲気にはしたくないとのオーダーで、自分的にもハードな革で硬い感じのゴージャスなバッグは苦手で、アレはちょっと『違う』と言うか、何か別世界。
なので車体色より少し濃いミカン色っぽいイエローの、柔らかい革をチョイス、そこにフレーム等と違和感少ないよう黒い革をカップリング、Rサスが露出するようなナナメ形状のバッグをこしらえました。
個人的にはシンプルでソフトな柔らかい革バッグって何処かブルージィーな気がしますが、そういうのが旧いバイクに『やる気なく』ブル下がっているとホント渋くてグッと来ます。
その辺りはオーナーさんも同じだったのか、一先ず気に入って頂いたご様子で何よりでした。

NEWシートが完成したXLHは先日21回目の車検でした。
あと少しで66、いよいよ60代も後半、正直言って70は本気で嫌。
なのでXLHに22回目の車検が有るのか無いのか、今はまだ何も考えられません。
もう1台のFLDは年明け早々、まだやっと2回目の車検なんですが、旭川のアイツが旅立ってもう丸1年か、早いなぁ。

てな訳でザックリ幾つか抜粋して羅列、久々の日記更新しましたが、相変わらずウルトラロングでしょ??
1年ぶりですし、まぁ性格ですんで諦めて、ってか僕が短い文章書いたら逆にいよいよヤバイのかも(笑)。

では本年も色々お世話になりました。
終わらない夏から急に真冬になったような2023年もいよいよ後少し、皆様良いお年を!
そして来年こそもっと平和で、HAPPY多い年になりますように…。

どなた様もメリークリスマス!! ウじゃね!!




生まれ変わったカスタムSR400。




古いホンダ用のハンドルに変更、グリップは秘蔵の’80年代のストック。
明るいタイプに変えたライトの位置はステー造って微調整、ケーブルの取り回しもスムーズかつカッコいい位置を模索。
フォークの上部にシックな黒い革カバー、秘蔵のフォークブーツと相まってフロントビューは渋さが増したと思います。




ステムベアリングは旧式のボールからアンギュラベアリングにリニューアル。
見違えるような操作性、やはりステムベアリングは定期交換必須のシロモノですわネ。




ボディアース増やし配線減らしてハーネスの簡素化ってけっこう電気をナメてる証拠、やっぱトラブります。
ハーネス、配線増えれば当然生産コストも増えるので、必要ないならわざわざ純正では絶対採用しません。
そしてステンレスボルトをアースに使うのはまずい、しかも端子の座面は塗装被膜、コレではアース不良は当たり前。
この処理だとやはりルックス重視で造られた可能性、座面の塗装剥いで鉄製のボルト類にチェンジ、アース線も増設。
社外品らしき点火コイルはコードも劣化、マウントのボスが狂って溶接、やはりステンのネジ、これだと強い火花は得られず、セッティングが狂ったと誤解しがち。
ローダウンで長過ぎたキックスタンドは削って角度を変更、クラッチもケーブルじゃなくタイミングの調整すると本来の機能を発揮。




廃盤のミクニの純正キャブレターは中古を入手、2ヶ1にして中身はキースターさんのリペアキットで新調。
セッティングは純正マニュアル通りとキースターさんのデータ参考に組んだだけ、それで全く問題なし、実に調子良し。
それよりエキパイガスケットは潰れ切り、これだと排圧ロス、当然低速トルクは出ず、高速も伸びない。
当たり前にアイドリングは不安定、やはりキャブセッティングの狂いと誤診しがち。
実はエキパイガスケットはマフラー外す度に毎回チェンジの必須パーツ、なので新品ですぐ解決。
しつこいようですが、キャブセッティングはデータ通りのみ、それで調律バッチリ。
排気漏れが解消したエンジンは見違えるよう、本来のポテンシャルが戻り実にパワフル。




マフラーやキャブレターなど、色んな部分にワンオフステーを造り採用。
マフラーはフレームが切断されて後部がマウント出来ない状態でした。
新たに造ったマウントステーは裏表リバーシブル式、ひっくり返すと社外のマフラーと純正マフラーの両方がマウント可能になってます。
キャブレターのサポートステーは一体型にすると返ってキャブがズレる為、敢えての二点分割式でステーAとB、各部にラバーマウント、力が逃げてくれるのでキャブを無駄に引っ張らない。




2ケツ車検用のピリオンパッドは吸盤式でしたがRフェンダーが細過ぎて微妙、なので簡易脱着可能なワンオフステーを製作。
そしてパイプからはタンデム用のバーを製作、クラシカルでノスタルジック、けれど何処にもないような素敵なタンデムバーになり何となく欧州っぽい独特なフォルム。
スプリング式のソロシート下は配電盤が剥き出しだったので、簡易オープン式の革製カバーを製作。




400ccを積んで100キロの道程走ってくれた頼もしいウチの660cc軽貨物。
今時2輪専用コースがなかった茨城陸事、おかげで昔のように並んでからけっこう待ちました。
が、それより街の中にフツーに在る検査場でそれが1番新鮮でした。




今と昔、遥かなる時が経ったのに。造った人間が同じだと似たようなシルエットになるのか。
全然違う、いや似てる、はてさて皆さんの目にはどう映るのでしょうかネ。




昨年納車が済んだ’81XLHも基本は各部のリストア中心。
しかしシルエットも微調整して実はルックスもけっこう生まれ変わらせました。
気付いた人、気付かなかった人、果たしてどっちが多いんでしょうかね???
尚、この時はウチの軽貨物バンには入らず、軽トラをレンタルして輸送、禁煙車なんて嫌いだ!




けっこうブ厚いアルミの自作シートベース、方眼型紙、原寸タックロール図。
イメージ伝達用の粘土の模型も実はミニサイズのシートベースから造りました。
完成したNEWシート、表面に浮き出すナナメの線、実際にはそんな線はなく、あくまで偶然の産物。
迷路みたいなタックロールが浮かんだ時から不思議な気分になりましたが、ミステリーな仕上がりにシビレます。




GL1000用フルオーダー仕様サイドバッグ。
オーダーしてくれたこの人もセンス抜群の人。
だからこれもけっこう神経要ったけれど、何でウチはそういう人ばかり色々仕事貰うんだろ。
下手すりゃお客さん達のがセンス有るのにイマイチずっと謎では有ります、そこが。
でも取り敢えず、何よりナナメ形状に仕上げるのが難しくて、すンごい勉強になったのは確か。
そう考えるとこの歳で色んな勉強、色んなチャレンジさせて貰えるのは凄いラッキーなんだと思います。
てっきり老人になったら楽々な日々!みたいな事、想像してた時も有りましたが、全然違った、全くそんなじゃない。
でも身体は本気で衰えてくし、思うように動かない事も増えたし、やっぱ少し楽チンな日々にも憧れ有るかも知んない(笑)。




21回目の車検も一応済んだネ。
EVOがないから『アイアンスポーツ』なんて誰も呼ばない時代だった。
当時は当時で色々有ったけど、うぜェ事もメンドイ事も。有ったよねぇ。
もし22回目有ったら丸40年か。思えば遠くへ来てもーた。なんなんこれ。
全く流行ってなかったあの時代、お前と俺。あの頃果たして何思ってたっけなぁ。




♦ 復活!ブッ飛べ!JET MACHINE!!
(よみがえったリアルドリームを載せ、今再び目指せ!ノースアイランド) ♦

(2022.10.02)

またまた1年以上ぶりの更新です。

現在発売中のVIBES 10月号(Vol.358)。
夏旅『BIKER'S SUMMER TRIP』ーPrat.6ーに、8月初旬にソロで行った北海道旅が取材されました。

今回の一人旅、100%私用、完全プライベート。
北海道を走り回る為に行ったのではなく、簡単に言えば道内各地に点在する友人達を励ましたくて行きました。

重い病気で単車に乗るのを諦めかけてた奴。
大怪我の身体の不具合で単車を遠ざけた奴。
はたまた家庭の事情や生活の為に単車を降りた奴。
その他にも色んな奴に感謝や勇気や色々、様々な何かを届ける為に。

夢を持てず、成りたいものがなかった子供時代。
心臓に欠陥が有ったり、しょっちゅう病気で入退院、外の世界が自由に見えて、いつも窓から眺めてた。

だけれどまだバイブル映画『イージーライダー』すら、この世に生まれるそれ以前。
まるで稲妻にうたれるように単車の悪魔にとりつかれ、寝ても覚めても頭の中はSPORTSTERと全ての二輪に支配された。
夢を見れない子供にも、やっと見えた唯一の光、希望、夢、目標=オートバイに乗る事。
成りたいもの=バイクに乗る人、単車の有る人生。

そしてまだ運転免許が取れない歳の頃。
奇病と怪我との同時進行ダブルパンチ、それで完全に失った片方の聴力とサンハン何ちゃらバランス感覚、平行四辺形(笑)。
おかげで二輪なんて無理だと散々言われ、全ての医者から同じ台詞、いきなり奪われた将来の夢『オートバイ乗り』。
自暴自棄から人生投げ棄てかけた少年期、それでも無理矢理免許を得て、隠密で通った教習所。
乗っちまえばコッチのもの、走り出せたら邪魔はさせない。2度と誰にも奪わせない。
立ち塞がる全ての壁は超えてやる、バイク、オートバイ、単車の為なら何だって出来る。
だから当時の免許センターでオマワリさんに教えて貰った身障者扱いにならない秘訣『他言無用、黙っていろ』。
素直だからね、あれから約半世紀、50年弱、今の今まで守って来たゼ、本当に有難う、当時のあのお巡りさん。

それでも俺の人生なんて、順風満帆には程遠いらしい。
身体ん中の取れない位置の、若い時代の無茶が祟った妙なオデキみたいのだけじゃ足りないらしく。
いつしか肝心な位置の腰骨が劣化してくっついちまって、リンパだか何だかが圧迫されて、足や腕に血が行かなくなるらしい。
ちょいと長距離走りゃ恐怖の激痛、そして今また再び聞く、ある意味聞き飽きた、聴き飽きた、お決まりの台詞『オートバイは諦めた方がイイ』。

『ナメんじゃねーよ、ヤメないよ。降りれる訳ねぇだろう?降りたらホントに死んじまうよ、何しろ単車以外に生きる目的ねぇんだから(笑)』

『そんな自分だったから。』
遥かノースアイランドに居る色んな奴、色んな壁に悪戦苦闘している友人達に。
何か勇気、諦めない不屈の何か、もしかしたらキッカケみたいなもんを、ホンの少しだけ分けてあげれる気がしたのかも。

そんな訳で強行突破、とにかく向かった約40年ぶりのノースタウン、ノースアイランド。
そしてずっと心の奥の奥、そこで埃をかぶって長い眠りについていた、夢の乗り物『JET MACHINE』。
ソイツをついに今1度、現代によみがえらせて、積みきれない量の『リアルドリーム』載せ、再びノースタウンを目指しました(※そのお話は後半で詳しく改めて…)。
でも丸1週間道内に居たけれど、旭川と札幌中心だったから、他にはあまり各地回れる時間はなかったのですがネ。

行き帰りのフェリー泊含めれば9日間、道内だけで7日間、それでも完全フリータイム、行き先決めない自由時間は約半日。
その模様は今回のバイブズさんには殆んど登場しませんが、取り敢えずたった半日だけ、午後イチから夜の19時過ぎまでの自由時間。
名寄市、智恵文、美深町、雄武町、紋別市、湧別町、層雲峡、エトセトラ…と、殆んど地図も見ないで思い付くまま。
気になる道見付けるといきなり矛先変えたり、テキトーに300キロ位は走り回りました(走り足りなかったけど)。

で、完全プライベートのハズのソロ・ライドだったんですが、帰って来たら突然VIBESさんから旅の取材をしたいとオファーが。
だから今回の夏旅特集に出る事になったのですが、実はどんな内容の記事なのか、ワタクシ全く理解しておらずの取材でした。
ソコは読者の皆さんと全く同じ、本が発売になってから内容知った次第、記事内の写真も半分以上は北海道の友人達に協力頂いた物。
取材になるなんてツユ程も想像していなかったから、まともな写真ナシ、基本は一人旅だし、地図すら滅多に見ないで走るズボラ人間ですから。
例えどんなに美しい景色が有ろうとも、わざわざ停車してカメラ出すなんてメンドイ事するハズもなく、カメラ構えてる位ならスロットルひねってしまいました。
走り出したら空腹になるまで滅多に止まりませんしね、そんな訳で人物写真は殆んど北海道の皆からの借り物です(※ご協力頂いた皆々様、本当に有難う御座いました!)。

尚、VIBES記事内に雨の写真がないのは、全行程9日間、ほぼ雨ナシだったからで、ポツポツとちっこい雨が来たかと思うと、ほぼ一瞬で止む。
一切濡れる事なく合羽要らず、でも逆に日差しはキツく、日焼けで暑くて暑くて毎日汗だく、ずーっと熱中症が治らない感じで独り熱中時代でした(笑)。
昔々1984年に、当時の愛車のHONDAのSL125S改チョッパーで全く同じにように単独で行った北海道。
あの時も本州からの全行程、当時は多分10日間か11日間、やはり雨は一切ナシでしたが、それは今回も同じ。
今回は台風だとか線状降水帯だとか沢山来ている最中に行ったんですが、何故か行く先々は雨ナシだらけ。
怪しい雲が有っても数分走ると必ず雲が切れて必ずピーカン、もう何処行ってもその繰り返し、予報では最悪なのに何故か絶対降らなかった。
おかげで今回会った皆々様には、呆れられっ放しの完全『晴れ男』状態、帰りのフェリーも(行き→仙台から苫小牧、帰り→小樽から新潟)、予報では小樽が雨だったのに行ったらやっぱりピーカン。
フェリー乗り場で『新潟が悪天候で到着が遅れます』と言われたのに、その新潟もピーカン、しかも遅れる所か予定より早く着岸(苦笑)。
そんな訳で今回は特に日焼けがヤバく、帰って来たら両腕には激しい水膨れ、そう言えば38年前に行った時も全く同じだったかも。

長年の相棒ショベルXLHに長時間乗ると出る持病(ヘルニアらしい)、それが新人TC96ダイナFLDではどうにか大丈夫だったけれど。
症状出ると歩行困難なので一応ステッキ=杖をFフォークにホルダー自作して取り付けてきましたけれど、今回1番キツかったのはとにかく暑さ。
身体がずっと火照ってもう、北海道はクーラー無い所もけっこう有って、そーゆー意味では快適だったのはエアコン効いたフェリーの中だけ(苦笑)。
一応長袖持ってったけれど、実際着たのはたった2回、しかも日没辺りに1時間程度…後はオール半袖か袖ナシ、毎日毎晩灼熱ヂゴク商会だった。

余談ですが、札幌で専門学校時代の同級生に単車を預けた1日だけ。
他の友人達と会う約束だったので彼んちに預けて単車はカバーかけて丸1日お休み(※車体カバーは積んでました)。
するとその日だけは土砂降り、丸1日雨、雨、雨…しかし不思議な事に、翌日、朝方まではかなり土砂降りだったのに目が覚めたら再びピーカン。
単車のカバー外す頃には道路の水溜まりすら殆んどなくなっていましたネ(※実話です)。

そんな感じの今回のソロRIDE IN THEノースアイランド。
38年前のバンド屋時代に同じく独りで行って以来、本当に久々でした。
欲を言えば、もっと長い時間、あと1ヶ月位は居たかったし、やはり長年の相棒XLH1000にも北の大地を走らせてやりたかった。
だけれど、今回やっぱり無理矢理行って良かったです、本当に、もう無理は出来ない身体と年齢なんだけれども。
何より北海道の友人達の心意気、優しさ、それに救われ、励ましに行ったハズが逆に励まされた気さえ致しますので。

尚、今回のVIBES誌にけっこうデカデカ掲載されている『恋のJET MACHINE』の歌詞。
アレは昔々、当時の北海道、それも旭川、ってか永山という町を想って作詞した当時のオリジナル曲の1つです。
奇しくも今回も当時と全く同じ永山に行く事になったのですが(※全くの偶然、会う人達が当時とは全然関連がない)。
なのでその奇妙な偶然に、旅の最中、頭の中でずっと、懐かしい過去の自分らの、あの曲が流れていて。
恥ずかしながら、時々声に出して歌ってました、走りながら、乗りながら、つまり運転しながら(笑)。

因みに「JET MACHINE」は飛行機の事ではなく、宇宙船のような、ある意味未来の乗り物、夢の乗り物。
その架空の何かを空想しながら、もうずっと昔の、まだ20代の、若い時代の自分が書いた詞(※作曲は当時のドラマー)。
そのフィクションの乗り物をオートバイに置き換え、当時のSL125改チョップに見立てて行った1984年の北海道。
今回はそれがFLD1580スイッチバックに変わり、なので今再びあの架空の何かが現代によみがえった気さえしていたのですが。
でもそれはあくまで個人的な事だったので、VIBESさんの取材では特に話題に出さず、私個人のFacebookやインスタでホンの少し載せた程度で。
そしたら何と、ソレを編集部が見付けていたそうで、ただ実際は編集部が興味示していたのはFacebookやインスタに使った38年前の写真、道路に置いた当時着ていたカットオフの写真。
今回もそうですが、当時も1人旅でしたし、先程お話ししたように、とにかくカメラ有っても中々まともな写真撮らないのは昔からだし。
なので昔々のあの時も、無人の自分のバイクしか景色に入れるもんがなくて、それにいい加減飽きて来たので道路にカットオフ置いてみたって感じがあの写真。
その後、色んな人があの写真見るたんび、動物の死骸だと思ったとか、色々散々悪評だったんですがね、あの写真、ホンの20年位前にだって散々言われたもん(笑)。
本当だよ、その酷評の99%は同じ単車乗り、てかハーレー乗り、CHOPPER乗りが殆んどなんだよ、マジで(苦笑)。
それが今頃になって、何故かやたら好評で(??)、それで編集部からそれを使わせてって事になって(※今回の『夏旅』特集全体の扉写真も僕の同じ路面カットオフ写真です)。
で、実際本が発売したらいつの間にか『恋のJET MACHINE』の歌詞まで誌面に出てるではないですか!?出るとは知らず、本当にビックリしました。
路面のカットオフ写真も『恋のJET MACHINE』赤文字入りは僕がスマホで加工した物で、編集部から言われてたのは『文字入れ加工していない写真が欲しい』だったし。
もう嬉し恥ずかしで、ちと冷や汗もんだったりしますが(苦笑)、取り敢えず昔々の事とはいえ、一応著作権?みたいなもんが有りますし。
なので急いで元バンドメンバー達にメールやライン、何人かはやっぱりビックリして連絡来ましたから、一体何がどーしたんだ!?!?って(苦笑)。
てな訳で今回特別に、『恋のJET MACHINE』の音源を公開する事に致します。
あの歌詞読んで一体どんな曲なんだろう?って興味を持ってくれた、絶対数がスゲー少ない、そんな奇特な皆さんの為に(笑)。
尚、音源が古く、しかもカセットテープ。そしてかなり沢山有った当時の録音テープ、紛失したり、行方不明や保存状態が悪い物多々で…。
なのでどうにか丸々1曲フルで再生可能のをどうにか見付けての公開ですが、ノイズや多々、演奏も粗っぽいですので、ってか下手(苦笑)。
つまり売れないバンド時代のチト恥ずかしい部分も有り有りで…その点は寛大な心で何卒お手柔らかにご容赦下さいネ!?

(※※その他の曲も今回特別に…。但し当時のレパートリー全部は無理なのであくまで音源が残っている物の1部ですが悪しからず!!)

PS:
VIBES記事の文中に『原宿ロックンローラー時代』と有りますが、自分はホコ天ローラー族だった過去は有りません。
ただ当時の彼ら彼女らの中に知り合いは大勢おりましたし、バンドのファンになってくれた人々も。
なので正しくは当時の原宿ローラーの中にも当時のこんな私を慕ってくれた人々が少しだけ居たってだけの話です。



★JACK KNIFE.R.P.B★
1977年結成、1985年解散。
出演は主にライブハウス、その他各種イベント等。

(当時の出演ライブハウス)※憶えている限り
新宿ACB、新宿ルイード、新宿ロフト、新宿N.Y.アンティノック、新宿JAM、
原宿サンビスタ、渋谷ライブイン、渋谷エッグマン、渋谷ショーボート(ラ・ママ)、
四谷フォーバレー、西荻窪ワッツ、横浜シェルガーデン、横浜ジーンジニー、
福生サンシャインUZU、前橋ラタン、柏クレージーホース、他…






当時の関係者が所持していたライブハウス用のチラシの1部(※他に大量に有り、ほぼ紛失)。






『死骸じゃなくてカットオフ』
Facebook&インスタに使った事がキッカケでVIBES誌にも掲載された画像と、基になった1984年撮影の古い写真。
以前酷評したハーレー乗り&CHOPPER乗り達は果たして見る目がなかっただけなのかいな(笑)??






『灼熱259に煮えたぎる』
雨予報は何処へやら、本州も北海道も常に天気に恵まれた。
けれど反面、朝から日没まで、僕にはず?っと暑さとの闘いの9日間だった。
そして地図を見ないでテキトーに走るから、常にソコが何処だか解ってなかったけれど。
夜の札幌で偶然停まったのが友人宅のすぐ近所だったり、他にも色々けっこう不思議な事だらけの旅だった。






『ホントは北見も行きたかった』
紋別だったか湧別だったか、カニは大の苦手だから、南海の大決闘でゴジラにやられたエビラのハサミだと自分に言い聞かせたり。
遥か昔、38年前、当時の知り合い達と行った思い出の層雲峡、昔とは目にするもん全部、全然違ってビックリ、やっぱり何処も近代的。
そして昔来れなかった小樽の街も、フェリーの港だけで再び断念した。ホントはもっと全てユックリ回って見たかったけれど、ああ時間がもっと欲しかった。






『浦島太郎IN北海道』
遥か昔に単車で来ただけでなく、単なる旅行者気分が嫌でワザワザ真冬に飛行機乗って再び訪れた事が有る旭川駅。
しかしそれら大昔の懐かしい景色は微塵もなく、スケールそのものが全然違って殆んど浦島太郎になってしまい、慌てて駅前交番へ。
私『アムス西武(百貨店)は何処ですか?』
警官『そんなもの今はない(笑)』
私『ゲ。え?じゃココ何処(汗)??』
やっぱどうもスッカリ浦島太郎っしたネ(苦笑)。






『思い出の名寄まで』
殆んど夕方の時刻、旭川を一旦離れ、完全無計画にただ北上。
昔々は深夜まで走って道警のヘリに停止させられたから、また同じはまずい、日没までには思い出の名寄で泊まろう。
最高の青空、行くトコ晴天だらけは有難いけどやっぱ暑くてコンビニ有ると冷たい飲み物束買いして飲みながら走った。


『行く先未定、知るのは単車、オマエのみ』
名寄を出て、昔のように未舗装路を探すが何処も舗装路ばかりで気付けばいつしか午後。
さぁて、昔行った稚内に再び行くか、未体験の方向目指して見るか、夜には再び旭川に戻る約束が。
暫く停まって悩んでいたら見知らぬバイク乗りに故障と間違えられてしまった(苦笑)、でも皆さん優しいですね。






『コレだよ、コレ!』
この景色。ガラーンとしてて人が居なくて、どストレートな道路、少しゴーストタウンっぽいこの景色。
これが今回探していた、懐かしい、遥か昔の記憶の中のノースアイランドを彷彿させる。
そう、決して野山じゃないんだ、平原でもない、求めていた遥か昔の記憶の中の北の大地。
足利に移住してからそんなに野山にゃ困らない、てかちょっと走れば野山が有る現在の環境。
だがこのだだっ広くて真っ直ぐで、ガラーンと何もない雰囲気の町、ちょい同じ日本じゃないみたいなこの景色。
ホント、コレだよ、コレ。






『交通法規守ってくれよ、蝦夷トナカイ』
あ、思い出した!昔来た時もそうだった。国道走っていると、どうも周りの巡行速度がユックリで。
足利だとバイパス出ればそれなりに楽なのだが、北海道は何処も周りの速度が合わず常に抜いてしまう。
6速のTC96のせいかも分らんが、国道だとストレスたまって仕方がない。
なので大昔と同じ、やっぱり今回も、必然的に道道をチョイス、取り敢えずオホーツクまで突っ切る事に。
だが今回は道内入ってスグ、まるで恐竜か!?ってデカさ、
馬?トナカイ?って大きさの2頭のエゾ鹿に目の前JUMPしながら横切られ…
道道入った途端、やたら目にする『鹿注意』の看板、それがどうにも気になって。
結局3桁ギリギリ手前でキープ、しかもどんなに暑くても、昔みたいに上半身裸もヘルメットなし!も今回は自粛、
色んな意味で大人はメンドクサイ(苦笑)。






※ 興味の有る方、聴いてみたい方は、ぜひ!コチラ↓の画像から動画のページへ。↓


★ JACK KNIFE.R.P.B、当時のオリジナル曲の1つ。
  販売用カセットテープ等、レコーディング未収録曲、主にライヴのみで演奏。
(※1984年当時のLiveより。)

録音状態&保管状態が悪い劣化したカセットテープ音源の為、
ノイズ等は悪しからずご容赦下さいますようお願い申し上げます。





 ご無沙汰しております、秋。 
(2020.10.04)

去る8/24が259店の開店記念日、なので日記を久々更新しようと思ったら又々前回から丸々1年経過していて(汗)、ずっと“更新年1回”じゃもうとっくに日記ですら有りやしませんよネ………恐縮です!

そんな訳で去る8/24、当店は開店24周年を迎えました。

実は地獄商会は既に開業30年を越えております。
1989年?90年頃、人様から頼まれて色々やる内に仕事になっていったのが始まりでした。
ZIGOKU‐SHOWKAIの屋号はその頃から使い始めましたが、成り行きから職業になった為、今となっては開業or開始の正確な日時が不明…。
なので8/24、つまり地獄商会が1996年にSHOPとして生まれ変わり再Openした日を1つの区切りと考えた次第です(※因みに司法書士による地獄商会の登記はもっと前です)。
しかしこの節目の日取りは故郷で有りワタクシの生家(実家)だった東上野での開店記念日のまんまなので、現在の足利小俣町に移転してから既に5年目になり、細かく考えると色々食い違う為、今となってはもうあくまでザックリとした節目ですが悪しからずです。

ともあれ開業以来30年ご愛顧下さった皆々様含め、現在までZIGOKU‐SHOWKAIを続けて来られた事はとにかく感謝しか御座いません、本当に長い間皆様有難う御座います。
オートバイだって例え今後、デカイ排気量が無理になってもまだ降りたくないと思いますけど、仕事、特にそれなりに手先の色々や体力&集中力が必要になるような作業系なんてのは70過ぎたらもしかしたら現役で居るのは段々難しくなりリタイヤも視野に入れないといかんのかもなぁ?って不安も有ります。
まぁもしもホントにそんな日が来ても先ずはお手柔らかに何卒お叱りナシで!って感じですが、勿論もう暫く頑張りますが、取り敢えず自分で『限界だナ』と思ったら無理はせず素直にリタイヤ選ぶと思います。
そりゃワタクシも人間ですから一応(苦笑)、いつかは必ず来ますネ、そう遠くない未来に確実そんな日が。

はてさて30周年or24周年、それらとは全く関係のない話で御座いますが、今回ささやかなアクセサリーや部品を少しこしらえたのでご紹介します(※相変わらずドレも少数限定ですが…)。

先ずはアクセサリー系から、サイコロ系、ダイス各種、Rock'n'roll的?なもんを1つ2つ。

(↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



もしかしたらZIGOKU‐SHOWKAIを最初期からご存知で、少々懐かしく思う方もいらっしゃるかも知れないDICEキーホルダーからご紹介。

(↑↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



知ってる方にはホント懐かしいかも?259で初めて造って売ったのは今から約30年前、まだ地獄商会がSHOP、お店としてオープンするずっと前、その時から意外と人気有ったのかスグ売り切れたのでビックリしたけど、再登場したのは先のSHOPとして生まれ変わった頃、24年位前に再びこしらえたのが2度目なんですが、以来時々、殆んど気分次第、毎回ホンの少し、使うサイコロ変えたり、色もサイズもちょいちょい違ったり、鎖や金具が異なったり、そして同時に造っても全く同じのは造らないから毎回1点物みたい感じで。
まぁこの辺り、地獄商会的と言うか、僕がずっとそんな感じなので、恐らく性格的な問題かも知れませんが、恥ずかしながらワタクシ『自分が欲しい物を造る』とも少し違いまして、頭に浮かんだモンを漠然と造ってしまうと言うか、造りたくなった(なってしまった)物を色々試す内に色々出来てしまうと言う結果論、クセ、恐らく多分、思い付きオンリー、良く言っても悪く言っても計画性がない(汗)。
それに飽きっぽい、ずっと同じモン造るのが苦手、同じ事するのがしんどい、で、微妙に異なるモンが幾つか出来てしまう、だから基本的に1点物だらけ、絵、服、革、部品、バイク…ドレも『何屋』と限定されるのがツラい、束縛感、不自由感じてしまい発狂しそうになる、あぁ、そう考えるとホントに何か商売的には色々失格かも知れないですが…。
なので今回のアクセサリーも部品も、簡単に言えば“気まぐれ商品”ですが、でも実は海賊Teeだってサイフもメガネも今まで常に気まぐれor思い付きで生まれた産物、ソレがたまたま人気出てしまった結果論みたいなもんなんですよネ、実際。
う?ん、そう考えるとハタ迷惑な性格なのかも知れないけれど、ホント(汗)、しかしこんなメンドイ気分屋とSHOP259をずっとご容赦下さり、寛大な皆さんにはホント感謝しかないですネ!

そんな訳で久々製作のDiceキーホルダー、詳しくは製品ページをご覧頂くとして、今回は滅多に手に入らない大変珍しい稀少価値みたいなサイコロ使った物も幾つか有りますので、特にワンオフ感がいつもにも増して強く、そして新作らしく過去作とはチェーンや金具を少し変更してます。
かと言え、基本的な構造やデザインやシルエット、ある意味“259”スタンダードなバランスは昔々からずっと同じアタックなので、例えば2つのダイスに付く2本のチェーンの長さを微妙に変え(※鎖の種類は各々異なりますが)、2つのサイコロのブラ下がり具合が必ず互い違い、ナナメ、つまり“段差”が出来るようにして有るとか、その辺りは昔から変わらないor変えないアレンジです。

続いて同じくダイス系NEWバージョン、ハンギングSolidダイス。

(↑↑↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



2つのサイコロが長目の鎖で繋がったアクセサリーで、1950年代ノリ、オールディーズRock'n'roll的と言うか、紐で繋いだ2つの大きな柔らかいサイコロを四輪のルームミラーに引っ掛けるあの雰囲気、ソレをそのまんま小さめの固いダイス使って紐じゃなくて鎖で繋いだヤツ。
'50sノリのアレがフワフワ&モコモコだからハンギング”ファジー”ダイスなんて呼ばれている為、コレは『ハンギング“ソリッド”ダイス』とワタクシ勝手に呼んでますが、映画STAR WARSでハン・ソロがミレニアム・ファルコン号のコックピットにこんな雰囲気のをブラ下げてたので、ソコ解る人、ちょい欲しかった方もいらっしゃるかと(※でもあくまで雰囲気だけ、“まんま”は苦手なのでアレンジ加えてますから、レプリカが欲しい方には不向きと思います)。

コレもかなり珍しいサイコロ使ってるのが1部有りますので、同じのは今回限り、ほぼワンオフ物なので、そこはご容赦下さい。
用途は特に何にブラ下げる用かを限定して考えてませんが、僕はけっこう昔から単車にブラ下げてまして、大体ハンドルの片側に。

『けっこう昔から』と言うのは先の1996年の259店Open少し前、ワタクシが米国ウロウロしとる時、ふと立ち寄った四輪部品と工具の“ペップボーイ”って巨大なお店で金属(クローム)の2ヶのサイコロを鎖で繋いだモン見付けて長年単車にブラ下げてたのです。
ペップボーイってのは確か全国チェーン店か何かみたいトコだった気がするけど、日本で言うならオートバックスやYellow Hat、それとアストロ工具とかを足した、規模はコストコとかの巨大な体育館みたいなデカイお店だったような、まぁ米国のお店は大概そんなですが。
ソコで当時見付けて気に入ってずっと大切にして単車にブラ下げたりしてて、気付いたらサイコロ1ヶ=半分だけいつの間にか紛失(涙)!…当時のソレには特にSTAR WARSやハン・ソロの事は書いてなかったけど、今となってはアレが一体何だったのか皆目不明、でもホント気に入っていたので何とかもう1度!と色々探し、海外のサイトやそれこそペップボーイの公式Web探したりしたけど2度と出逢わず…。
そんなこんなで数年前、樹脂製サイコロで似たようなモン自作して再び単車にブラ下げ始めたんですが、ソレ見た人に時々聞かれたり欲しがられる事が有り、ならちょい造ってみようかと。
用途はホント特に決まりないと思いますけど、単車や四輪にブラ下げてもOK、ハタマタ部屋とか何かに飾ってもイイ、その辺りは個々で好きで良いと思いますが(※単車の場合は取り敢えず脱落or紛失注意!…です)、まぁ双節棍=ヌンチャクみたく振り回したり、武器的使用だけはしないで頂きたく存じます(苦笑)。

製品ページへGo★    (※ ← クリックするとページに飛べます。)

ラストは部品。
大袈裟に言えば259オリジナルのアイドルストップスクリュー、いわゆるアイドリング調整を手(※指先)で行えるタイプのネジです。

(↑↑↑↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



フレキシブルな首振りタイプではなく、エアクリーナーの隙間から垂直に上に飛び出るだけのアイドル調製の長いダイヤルネジ、1980年型までの京浜バタフライ前期型キャブレター専用でネジ径M5タイプのみ使用可能です。
製品と言ってもあくまで自分用に色々試作繰り返す内、余分が出来たのでもしもご希望の方がいらしたら販売と言う形でお分けしたいと思った次第、一応販売ですので有料ですが……恐縮です!(※微妙に異なる長さ&デザインが数個のみです)。
尚、Shovel head FL/FX/XLモデルに標準搭載されていた京浜バタフライ式キャブレター、細かく言えば各部が微妙に異なる仕様が幾つも有り、口径違いも有れば他にもちょいちょい違う部分が色々有って、互換性がない部分も有り、一口にKEIHINバタフライと言っても年代により細かい仕様?セットアップが違う為、“同じ”とは言い切れず。
このアイドルストップスクリューもその1つ、ザックリ言えばネジ径5?の前期型的タイプ(?1980年)とネジ径4?の後期型的タイプ(1981年?)の2種類有り、今回のは1980年式までのM5径オンリーです(※因みにバタフライのココは純正からメトリック=ミリネジ、他にはフロートのマウントなどもミリネジですネ)。

参考までに申し上げますとワタクシの'80年型XLH1000に搭載中のKEIHINバタフライはアイドルストップスクリューがM5のタイプで、言うなれば前期型。
比べて現在お預かり中の'81年型XLH1000のKEIHINバタフライに搭載中のキャブレターのアイドルストップスクリューはM4の後期型です。
他にもワタクシの'80XLHとお預かり中の'81XLHを比較致しますとルックスその他、パッと見はけっこうソックリよく似ているのに微妙に異なる部分や部品が色々有りますが(※どちらも純正部品が多い状態での比較)、この調製ネジはハッキリ違う部分ではないかと思います。
尚、ワタクシの35年目の相棒'80年型XLH1000はディーラー車で今はなき小川屋内燃機で正規輸入された当時の日本仕様、件の京浜バタフライもずっと当時から使い続けていてOHやリペアはもう何度もしてますが(※かなり果てしない回数OHしています)、リペアした部分以外は1度もボディを換えていないキャブレターなので資料的にはけっこう信頼性高いです。
取り敢えず同じバタフライのアイドル調製ネジ、当方の1980年型とお預かり中の1981年型ではサイズが異なり(※双方に互換性は有りません)、複数所持しているオフィシャル純正マニュアルやパーツリスト(パーツカタログ)を確認しても、1980年式までと1981年式以降では異なり、変更がなされた事が明記されています。
所持している純正資料はShovel headのXL用(※主にCRフレームとXRフレームのデータ)、同じくShovel headのFLT用(※1980年式のみ)などですが、ドレ確認してもやはり1980年型までと1981年型からはソコが明らかに違うので、やはり1980年までが前期M5、1981年以降が後期M4と判断します。

ただ特に当時の並行輸入車などは“混ざっちゃってる”ヤツが時々有ったのが悲しいかなShovel head時代のHarley‐Davidsonの色々で、年式を基準にするより、先ずはご使用予定の現物のキャブ本体のネジ径を確認してからチョイス、コレ鉄則と思いますし、それが1番確実、ってかソレしかないと思います(※改めて記しますが、今回当方製作のアイドル調製ネジは径M5のみ、M4径タイプには使用不可なので悪しからず)。
もしかしたら『…年型』or『…年式』と言う表現も日本のソレと米国のソレとでは“区切り”が違うから、ソコもけっこう誤解or誤認しやすい部分かもなぁ??…と言うのはあくまで日本の話ですが、例えば新車時代のSHOVEL HEAD、例えば全く同じ年に“初年度登録”されていても、『コレ、前年モデルじゃないの?』ってヤツは実在しましたし、並行のだと『前年度の売れ残りを翌年製と間違えたか?』って印象のも有りました(※当時の日本の、特に『外車』の様々は、現代とは全く比較にならないレベル、異なる事情が多々だったので)。
それには日本と米国の年度の境目の違いが関係した気がしていたのですが、例えば学年や年度末も日本は3月⇔4月が区切りですが、米国のソレは8月⇔9月、Harley‐Davidsonの新型チェンジ時期も昔から9月、なので例え同じ年式(年型)でも、8月までのソレは実は前年製、9月以降のソレなら翌年製…って事なのかも知れないけれど、1番は当時の日本では特に外車の情報管理がけっこう雑ってのがネックだった気がしてます。
昔、特に並行輸入の中古車なんてかなりメチャクチャな年式で表記、記載されてるヤツ沢山見たけど、それに加えて先の日本での情報の雑さ、メーカー側での製品管理みたいのも少し雑だった時代では有ったのかも知れないけれど、ホント特に日本にはまともな情報少なかったからなぁ…。
でもそれでもやはり正規輸入と並行輸入の差、みたいな事はとても明確に有り、信頼度の違いと言うか後々の安心感の違いと言うか、アフターは勿論、少ない情報量なりに、正しい回答を得れるか否か、みたいな部分にもその“違い”が凄く有って。
例えば中古車なども『正規輸入or並行輸入』で全く価格が異なってて、その“値段の差”は本気で愕然とするような全く異なるレベルだった印象有りますし、ホントそれ位『値段が全然違う』って印象でしたネ。
だから安心感や信用度の為に、例え中古車でも、例え高くても、例えディーラーで買わなくても、それでも正規輸入品選ぶ人は現代より更に多かった気もするし、それ位に並行物はけっこうゴチャゴチャなのがホント沢山実在してて、お店含めて売ってる側すら実はあんまりよく解ってないって事も多々有って、マジで後が大変…って感じの、ソレはホント多かった記憶有りますョ。
だからか、特に中古車だと並行のは同じ年式でもパッと見は前年製にしか見えない、恐らく勘違いした物が沢山有って、逆に翌年製と勘違いしてるのはあまり見なかった気がするけど、そのドレにも当てはまらない、属さないって感じのヤツ、もっと混ぜこぜ?みたいのは時々見たンだけど(※ホントそんな感じ)、アレは一体何?…恐らくスゲー困惑してた人も沢山いらしたと思うナァ。
まぁこの辺りは詳しい皆さんならけっこう周知の事実と思いますし、今思い出して面白いと言えば面白いけど(苦笑)、てな訳で今回のアイドル調製ネジ、KEIHINバタフライ専用ですが、サイズ区別、先のワタクシの車両とお預かり車両の比較、オフィシャルのサービスマニュアルやパーツカタログを参考にすれば1980年型までがM5、1981年型からがM4、ですがソコはやっぱり先ずはちゃんとお手元のキャブを現物確認してからチョイスして下さいませ(※勿論お問い合わせ歓迎です)。

★参考補足(正規輸入車が新車販売された時期)★
・1979年9月頃から1980年8月頃まで1980年型が販売。
・1980年9月頃から1981年8月頃まで1981年型が販売。

では今回コレを造った経緯…
ワタクシ約20年位前から自作のアイドルストップスクリューを使っていたのですが、気になる所もチラホラ有りまして、今回ソコを改良しようと試行錯誤し始めたのがキッカケでした。
先ずはルックス、お洒落っぽいフォルムや首振りタイプは避けたかったのでプラプラorビヨンビヨンしないヤツでストレートに真っ直ぐ伸びて、で、もう少し地味でアッサリした質素なデザインの物、過去に自作したのもそんなでした。
当時、最初に自作した頃、当初は一応市販品探したのですが、昔も特にネジ径M5のはバリエーションが少なく、長さが短い物だったり(※短いとエアクリーナーの間に指先入れる時、指が太いのか?凄く狭くてやり難くくて…)、でもお洒落っぽくするのがフリークみたいな方々に少し流行し始めてた時期で、それが定番カスタム化してく気配感じてたから、ちょいハズシときたい気持ちも有って。
なので長目に飛び出すヤツでなるべく地味なヤツ…そんな感じのを当時自作して長年使っておりましたが、しかし先端のネジ部の長さ=突き出し量設定が中々難しく、ネジ部の長さ=突き出し量は悩みの種でしたネ。

それにはワタクシなりの試みが関係していて、アイドル調製ネジは前期型M5タイプが『ネジ&スプリング(バネ)』の構成なのに対し、後期型M4タイプが『ネジ&スプリング&ワッシャー×2』と言うワッシャーが増えた構造に変更されていて(※どちらも純正部品での話)、ワタクシは前期型のネジ&バネのみのタイプにわざわざワッシャー×2を追加したいと考えてまして、理由は単純、傷防止、つまりキャブレターのボディにスプリングが直に当たって“段差”が出来るのを防ぎたかったのですが。
でも恐らく純正のアイドルストップスクリューを基にしたネジ長=突き出し量を決めているのがこの手の部品なのかも知れませんし、アフターパーツ等も大体そうでしたので、過去はワタクシもソコを基準にしてしまった為、イマイチ微妙だった訳で。
取り敢えず過去はワッシャー2枚噛ました分、どうしてもネジ部の長さが足りず、もうちょいアイドリング上げたいのに限界が低いと言うか、その『アトもうちょっと…』が無理で、バネ=スプリングが限界になってソレ以上は回りませんでしたネ。
それでも日常に困らない程度にはなり、多分他人から見たら殆んど気にならんレベルで使えてましたが、でも今回はもうちょい、更にソコの過去の反省点、その“微妙な部分”を解消、改善してみたかった。
つまり純正後期型M4タイプと同じようにワッシャー2枚噛ませても問題なく普通に使えるようにしたかったし、ハタマタもしかしたらキャブのその部分の肉厚とか“個体差”みたいなもんが有ったとしたら…そんな場合も対応可能な、もっと許容範囲が広いタイプにしてみようかと。
…で、手始めは過去作のを基にバネを変更、少し線形の細い物に変えたりor短いのにしたり(※それでも決してワッシャー×2追加は諦めない!笑)、とにかく色々試しましたがどうもまだイマイチ。
なので先端のネジ部、長さ=突き出し量を任意で変更出来るようなもん考えた結果、勿論大きく突き出し=長さを変える必要は全くないと思うので、ホンの少し、ワッシャー追加分、ネジ山をたった半周とか、せいぜい1、2巻き長くしたり、短くしたり出来ればOK、てな訳で先端のネジ部はダブルナット固定で長さ=突き出し量調節可能なようにしてみた次第。

質実剛健なんて大袈裟なもんじゃ決してないと思ってるけど、でもやっぱりあんまりファッショナブルじゃない雰囲気、主張が控え目な質素な感じはキープしときたい気持ちは強かったので(苦笑)、だからルックスは至ってシンプル、やっぱり地味ですし(笑)、かと言ってあまりメカニカルになり過ぎたり、アート感や高級感みたいな方向行ったら『違う!』と言う我ながらメンドイ部分も譲れず(苦笑)、なので程々チープで粗っぽい、何処かノスタルジックなもん目指してみたと。
飽きの来ないようなデザイン…かどうかまでは正直解らんですが、昔の水道の蛇口とか昔のガス管とか玩具のゼンマイとか…うーん、いや、違う!もっとプラスチックな何か…箱の開閉に使ってたダイヤルネジのフォルム、僕の実家の工場に沢山有った旧い機械の部品、管のバルブ=開閉弁みたいなパーツって何か妙にそそられて忘れらンなかったし、そんな感じのをイメージしてたらこんな風に仕上がりました。
その辺りはワタクシ、もしかしたらずっと、何処かでエンジニアだった父親の背中追ってたから、かなぁ??…………恐縮です!(笑)

尚、コレ、色んなネジ類の組み合わせで出来てますので、皆さんもその気なら自作するのは簡単だと思いますが、まぁ造るのメンドイよ!って方はどうか宜しくです。
因みに素材、ツマミ部分は樹脂と鉄ネジですが、他はナット?ネジ部までオールSUS(ステンレス)、そして勿論本体だけの販売OKですが、もしご希望ならば+500円UPになりますが、専用のスプリング(純正相応社外品&鉄)、そしてワッシャー×2(SUS)、勿論どちらも新品、それを一緒にお付けします(※その場合、アイドルストップスクリュー1本に対し、バネ×1、ワッシャー×2オンリー、尚、バネorワッシャーだけの販売は致しかねますのでご容赦下さい)。

★詳しくは製品ページにて。    (※ ← クリックするとページに飛べます。)

(↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



と言う訳で、今回特に長ーくなりましたが、まぁ丸1年ぶりの更新だから読むのも丸1年かけてユックリ読んで頂ければ幸い!なんて思ってます(苦笑)。

ー24th.Anniversary.ー
ZIGOKU‐SHOWKAI INC.



 23周年で御座います 
(2019.08.24)

久々の更新です。
久々過ぎて前回いつだっかすら憶えておりません…。

自分が地獄商会を始めたのは1989年だか1990年だか、つまり今から30年位前の話なんですが。
しかしそれが正確にはいつで、季節はどんなだったか、その辺りはもう昔過ぎて、自分の記憶も曖昧過ぎて、あまりハッキリ思い出せずにおります…。
(何だかボケ老人みたいな話が続いてしまいましたね…)

なのでウチのオープン記念日は、ご存知の方々も少なからずいらっしゃる、旧東上野の店舗オープン日、1996年8月24日をZIGOKU‐SHOWKAIの開店記念日とさせて頂いておる訳です。
(※その日はType-?の海賊TEEの最初の発売日でも有ります)

そんな訳でZIGOKU‐SHOWKAI=地獄商会は本日無事23周年を迎える事となりました。
そして私の故郷で有り、地獄商会にとっても古巣で有る東上野から現在の足利に移転して、あれからもう少し、この秋、冬にはやっとこ4年が経過する訳なのですが。
果たして、それが『まだ』なのか『もう』なのか、イマイチよく判らないし、東上野時代から数えても、つまり店になってからの通算23年が、短いのか長いのか、正直自分ではよく判らないと言うのが素直な気持ちです。

その辺りは、おそらく、皆さんから見てどう思うか、みたいな部分でしょうし、始めた本人、やってる本人、…なんてぇもんは、意外とそこまで自覚してないもんかも知れませんねー(…って俺だけなのかなぁ?もしかして?)。
まぁ長いと言えば長い、いやいやそうでもない、まだまだ短い、…うーん…果たしてどっちなんでしょうね??
やっぱりよく判んない?…。

それに記念日と言っても何をする訳でもないしねー、普段と別段変わった事もしてませんしネ…。
そう言う意味では(PRと言うか、宣伝と言うか、みたいな点では)、ある意味お店としては、何かが欠けてる気がする時有りますが、自分でも(汗)。

でもまぁどうなんでしょうね(笑)?そう言う催し?PRみたいなもの?、ホンの些細な事なら数回位はやったハズなんですが、過去…。
滅多にやらなくなって、けっこう久しい気が致しますが、まぁでも、確かにものぐさなトコかもですが、それでもそんなものぐさ業者のまんま、23年何となく続いてしまっている、そんな店、世に1つ位在ってもそこまでバチ当たらんと思っておるのですがねー(汗)。
そんな訳で取り敢えず23th.Anniversaryなんですが。
ま、でも、その辺りのものぐさ問題に関しては、どうか皆様、『ZIGOKU‐SHOWKAIじゃん!』で片付けて下されば幸い(苦笑)。

てな訳で、皆様丸23年、ホント有難う御座いました。
明日から24周年に向けて、是非ともものぐさのまんま、突き進んでみたいと思います(笑)!

PS:でもホント皆様、今後とも宜しくTHANXです!




ー23th.Anniversary.ー
ZIGOKU‐SHOWKAI INC.







(↑↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



 22周年 
(2018.08.25)

またまた、ほぼ1年ぶり更新です。

皆様、ちっとも更新せず申し訳御座いません。

本当に久々の更新です。

昨日更新出来ませんでしたが、
当地獄商会は、2015年末より栃木県足利市に移転致しましたが、東上野での店舗オープンから数えて、昨日無事に通算22周年を迎えさせて頂きました。

尚、最初期の地獄商会オープンは1990年頃ですので、地獄商会としては早28周年になりますが、22thANNIVERSARYは店舗オープンとしての計算になります。

もう22年と思われる皆様もいらっしゃるでしょうが、手前としてはまだ22年と思う位、大した事ではない気もします。

ですが、やはり続けて来れたのは一重に皆様のお引き立てのおかげ、それ以外はなにものでも御座いません。

上野での店舗オープン当時、まだ30代でしたワタクシも、いつの間にやら60代。
本日から23年目に突入した訳ですが、以前のような体力もないですし、長い時間作業するのは年々辛くなって来ています。

その辺りは今後、段々皆様に色々なご不便ご迷惑おかけするかも知れませんが、何卒お手柔らかにお願い申し上げます。

それでは皆様、今後とも宜しくお願い申し上げます。

地獄商会 店主:M.Hayashi.


1990年初頭、最初期の地獄商会。 最初期は作業場オンリーでした。

1996年8月24日開店。 店舗にして皆様が来れる場所になりました。
(※'96、'97年頃、画像の海賊TeeはType-?)

現在の栃木県足利市。 現在は作業場半分、店舗半分と言った感じです。

足利に越してから、この1年位、時間見てはこの1台を仕上げてました。
古い馴染みのお客様の'81 XLH1000で約17年位は眠っていた不動車でした。

僕のと1年違いの車両なので無い知恵絞りながら何とか頑張り、ようやく息を吹き返しました。

長い眠りから目覚め、バリバリ尻上がり。
二転三転色々有りましたがドンドン調子良くなるのを見ると感無量です。 後はオーナー様のバイク復帰の為の諸々、どうか頑張って貰いたいです!



←動画ですが、読み込めない方もいるかもしれません。ゴメンナサイ。



(↑↑↑↑↑↑↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



 お待たせ小俣 
(2017.08.04)

ほぼ1年ぶり更新です。

だけど単車の話でも服の話でもなければ以前お約束した何故現在の地に越したのか、でもなく、それらは又今度…。
久しぶりの更新は久しぶりに所有した4輪車のお話…。

4輪を所有するのはもう随分久しい。
今のこのクルマに乗ってようやく約2年半が過ぎようとしてますが、27年前にまだ革ジャンペイント屋だった頃の地獄商会を始めた時、あの頃手離した4輪が最後、アレ以来だから本気で随分になります。

現在の日々の暮らしの中である意味クルマは自転車代わりに近い必須アイテム、クルマが無いと買い物行くにも不便です。
今までは私のような者の移動の足は単車で十分でした。
荷物運搬用にリヤに巨大な箱を積んだ真っ黒な3輪スクーターを所有してた事も有りますが(※当時259の看板代わりでも有ったあの3輪、現代は知る人と知らぬ人に分かれるのが時代を感じます)、それは東京ならではの事。
電車もバスも殆んど無いに等しい現在の環境ではそう言う訳には行かず、99%4輪社会、クルマが無くては死活問題、毎日の生活圏において必需品。
地上にも地下にも電車が沢山有ってその気になれば歩いて買い物行けるような便利な地域、不要と言って居られたのは東京近郊がただ便利なだけだった事を今更ながらに思い知らされます。

まぁ東京は駐車場問題がシビア過ぎて最近じゃ単車でも少々シビアだし、肝心の駐車場が月極でも時間貸しでも高額で、特に土地が狭く、住居に無料の駐車スペースを設置し難い都心部ではけっこう4輪車を所有し難い状況だと思います。
実際自分も昔々はマンション家賃なみにバカ高い月極料金を支払わされて駐車場を借りてましたし(おかげで過去の違反、99%が駐車違反によるものだった)、それからすると何処へ行ってもデカイ駐車場が有り、しかも99%タダ。
反面大体の買い物はそれなりに荷物積む事が必須条件なので、そこに2輪や自転車を足にすると返って不便が生じてしまう…。

そんな訳で現在足にしてるスバルの軽。
お客さんの御好意により現在の足利へ移転する寸前に無料で譲って貰った1996年型KV3サンバー貨物用の660ccなのですが、とっくに10万kmを越えたポンコツ寸前だった為、当初は経年劣化がそれなりでした。
なので親戚の整備工場へ持ち込みヘッド周りのOHから始まり、以来時々アチコチちょこちょこ直し&調整しながらの現状。
去る2月はオーナーになってから2度目の車検をパス。
その更新時期に合わせ、随分すすけて艶も失せたままだったボデイを磨き、中身も色々ちょいちょい。
つい先日は、前々からずっと気になっていたファーストアイドル調整に踏み切り、合わせてフィルターを換えたりハイテンションコードやプラグもグレードの高いヤツに換えたり、まぁまだまだ色々煮詰めてっている現在です。

そんなある日曜の夜、セッティングついでに孤独なナイトランに出た。

例え栃木でも、日曜の深夜に道がガラガラになるのは東京とけっこう同じ、共通の事。
ガラ空きの道路、足利と桐生の県境付近、ダブルクラッチとまではいかンでもバッキンバッキンにシフトダウンしたり、各ギヤ無理矢理引っ張ったり、ガバッ!っとワイドオープンさせたり、ワザワザそんなラフ走行試しながらのテストラン。
電気式だけどコレ、一応キャブ車、取り敢えず今時キャブで燃調してる我がクルマ、しかも昔懐かしい5速のマニュアルシフト。

昔々1986年頃に所持してた昔の愛車(4輪)に付けてた青いサイコロのシフトノブ。
あれから約30年、それをまだに持ってたので今又それをこのクルマに移植して。
多分レアでも何でもない、珍しくも何ともないシフトノブ。
30年以上前の物だけど、きっと大した事ないかも知れない青いクリスタルなダイスのシフトノブ。
そんなサイコロ・コロ助なシフトノブ。
長い年月の愛着以外のナニモノでもないですが、僕には大切な物で、たかがシフトノブ、されどシフトノブって感じ。
でもやっぱり慣れ親しんだコレ、握ると気分がイイんだよネ。

ほぼ99%還暦世代の現在、この歳になっても趣味的なクルマを所有する余裕はナシ。
だから仕事優先の4ナンバー、白いスバルのサンバー軽貨物。

一時期ホンの短期間だけ所有してた同じく白い日産スカイラインGT。
4枚ドアのいわゆる箱スカの2000cc。
ようやく念願の1000ccハーレーを手に入れた直後位の頃だった。
当時はハーレー乗ったりイジったり、スカG乗ったりイジったり、他にも色々。
まだハーレーの本も、バイカーと呼ばれる面々も、何にも無いような頃。
当時働いてた勤め先の仕事終わって帰宅した途端(※当時は一応会社員)、夜な夜な単車イジり、時にはスカG飛ばして独り、深夜の高速を九十九里までトンボ返り、それでそのまま再び仕事行く!なんて事すら。
約30年前の、まだ20代の若者時代だったとは言え、四輪は暫く2台、単車は4台有ったし、あれで毎日深夜まで勤め先に居たんだから、まぁ我ながら当時の体力ってのは一体どうなっていたンだろう?と自分でも不思議ですが。

でもあの頃とは違い、今じゃせいぜいホンの短時間、それも殺風景な県道を、行ったり来たりする程度、途中の深夜のコンビニのPで独り、エンジンルーム覗いてちょこちょこ調整したりする程度。

でもそれでも!僕はきっとこう言う事が嫌いじゃない。
確かに単車は大好きだけどクルマもやっぱり嫌いじゃない。
てか動くもんは何でも好き、だから二輪と四輪のどっちが…みたいな話はけっこういつもど?でもいい。
そして整備とか調整とか色々、誰かに任せっ切りはちょい嫌、なるたけ自分でイジりたくなる。
確かに実家は機械屋、モロ工業、生まれ育ったのは工場、機械が身近な環境、だけど決してそれだけじゃない。
16で単車の免許得た直後も、ポンコツ2スト不動車バラして組んで、いきなり2台持ちになった事が有るが、ただ好き、興味が有った、ただそれだけで、大して知識なんて何にも無かった。
だから随分と失敗して、随分と壊して、もう失敗だらけ、上手く行くのは1%、後は全部失敗ばかり。
もう恥かきまくりベソかきまくり汗ふきまくり焦りまくり。
だけどやっぱり好きだから再びイジくり回して段々慣れてって。
ウンチクやら知識なんてもんよりは、ただただ“勘”ってヤツを覚えてった気がする。
そしてそれが役に立って今まで何とか、それが役立って色々仕事もやって来れた。
単車&四輪イジりの延長、改造やら整備の延長線に有る感覚、その“勘”のみで皆さんが愛用してくれてる服や革製品を造ってたンだ。
どうやら僕はそんな奴なのかも知れません。
ガキの頃から単車、クルマ、乗るのも好きだが、イジるの好きで、ロックンロールは好きだけど、聴くのも好きだけど、観てるよりはマイクスタンド握ってる方が好き…みたいな(※でもライヴはそこまで好きではない…苦笑)。

で、そんなこんなの59年、後半年で60年。
早生まれの僕はまだ一応59、でも同級生達は既に大半が60歳。
今年は年末近くに還暦記念の同窓会が有るらしいけど、昔ながらの数え年なら僕も既に60歳のお爺さん。
懐かしいこの青いサイコロのノブを握る手も、いつしか妙に厚ぼったくなった、今じゃケツからクシ出してバックミラーで撫で付ける事もない、ポマード使う事もない、もう『手遅れ』かどうかは解らンだけれど(苦笑)。
とかす必要のない超短髪なのに久しぶりにケツにクシ突っ込んで、耳に上に向けた煙草、無地のTシャツ、長年愛した懐かしのラクダのタバコは無いけれど。
両切りもフィルターも現代売ってるアレとは違い、真のキャメルは葉っぱがトルコ産、だけどソレはもう手に入らないから、今じゃ同じトルコ産の葉っぱのウィンストンになったけど(※因みに本来のウィンストンと最近よく見るCABIN系のウィンストンとは全く違います)。

独り深夜のテストラン、途中で立ち寄ったコンビニ駐車場、頭の中の空想と現実が交差する。
パラダイス・ロードもサンダー・ロードも、ましてやマルホランドもココには無いけれど。
もう還暦?もうとっくに老いぼれ始めてる?それでもやっぱり気分はあの頃のまんま…。
ジョン・ミルナー、ケニッキー、はたまた黒いボデイで赤い火の玉カリォルニア・キッド、ボンネットの無いスティングレイのキャル…。

相変わらず支離滅裂で久しぶりの更新はただただ長いだけ(苦笑)、一体何の話だったか、もう自分でも全く解らんのだけれども…。
それでもネ、きっとずっと見果てぬ夢を追ったまんま本気で老いぼれてくのかも知れません。

そりゃ僕にも好きなクルマは有る、欲しいクルマ乗ってみたいクルマ憧れたクルマは有る訳ですが。
だけどやっぱり僕には分不相応、そう言うもんには何故かとんと縁がない(苦笑)。
どうやら僕は、念願の、魅惑的なクルマを手に入れるような種類の人間ではないけれど、何となく手に入れて何となく乗ってる内にいつしかとても愛着が湧いてしまうようなタイプの人間なのだけど…。
だから今回も取り敢えず20年落ちのポンコツ、どっからどう見ても働くクルマ!の、旧くて白い軽の4ナンバー。
そんなクルマをいつの間にか又イジくり回し、相変わらずこんな調子でちょこちょけやりながら。

でもネ、お婆さんみたいなお爺さんにだけは決してならぬよう気を付けてるンですよ、実は!!

1_ootanoidemitsu   2_jairoUP   3_tsuikaB



4_tsuikaA   5_sasikae   6_daisunoSHIFTnobu_BLUE_30nenmaekaranoaiyouhin



7_3bar3kitiSETTINGnow   8_The_california_kid_1974   9_camel



0_Winston_corm_pomade_kakushu   11_ootanoidemitsu   12_ootanoidemitsu



(↑↑↑クリックすると、別ウィンドウで見れます。)



 足利よりの初更新 
(2016.08.24)

久々と言うか、ほぼ1年ぶりの日記の更新です。
多分もう再開しないと思われてたかも知れませんが(苦笑)。


昨年の9月で長年親しんで頂いた東上野の店を閉めてココ足利に引っ越して以来、初めての更新と思いますが、本日は地獄商会のオープン記念日。
(※21周年かと思ったら計算間違いで20周年かも?お祝いメッセージ頂いた皆様算数も出来ないバカですみません!)


え?改めてすみません、計算間違いするいい加減な野郎で…。
地獄商会そのもののスタートは1990年頃なのでそれだと26周年になるのかも知れませんが、更にいい加減なワタクシは詳しい開始日を全く憶えてないと言う…
その為、本来の開業記念日が自分で解らなくて(汗)。
そんな訳で取り敢えず記憶の有る、東上野の店をオープンさせた日の8/24を開業日にした訳ですが。
でも移転して再オープンしたのは今年の春だし、その辺り、本来なら又開業日って変えなきゃならんのかな?なんて思うのですが、果たしてホントはどうするべきなんだろ?その辺…。


とにかくいつの間にかあれから20年経過して21年目に入った訳ですが(※多分この解釈が1番正しいかも?)。
まぁ今まで色々有りましたネ。てか今も色々有ります(苦笑)。
取り敢えずちっともうだつの上がらぬまんま、21年目に突入して果たしてコレからどうなって行くんでしょうネ?259は。


ご存知の通り、皆様に長年親しんで頂いた海賊TEEは製造中止ですし、度付き眼鏡専用フレーム、財布(ウォレット)も同じく生産中止にしました。
ドンドン売る物無くなって行くと心配する声をよそに…。


★★海賊、眼鏡、ウォレット、今店内に在庫してるのみですのでご希望の方は是非お早めに!
(珍しくちょっと販促してみました)★★


もちろん海賊TEEもウォレットもネタはまだ尽きてませんし、正直造ってみたい配色とか有ります、まだ。
ですが今はホントに何かを仕切り直したい気分が強く、従って最悪もう造らなくても(or造れなくても)仕方ないと思っています。
それに素朴な疑問として近年何かがちょっと変に感じてます。
誤解を恐れず言えば、何処へ行っても、あっちこっちで馬鹿みたいにシマシマだらけだし、今更チェーンの、革ヒモじゃない、トラッカータイプのウォレットが増えたりして。
下手すりゃ右用だ左用だなんてのザラに有りますよネ、今って。
有り難い事に『259のは違う!』『別格だ!』と言って頂ける方が沢山いらっしゃるのは存じておりますし、もちろん嬉しい限り、大変冥利に思います。
ですが、それ、ホントに少しシラけませんか?どうなんよ?似たような物ばかりが増える世の中、と言うか、似たような物しかなくなる世の中ってと。


これ又誤解を恐れず言いますと、袖リブ付き長袖ストライプシャツ、隠しボタンのチェーンウォレット(同じく左用や珍しい皮革素材使用の物)、度付きレンズ専用の眼鏡フレームとしてのバイカーシェード、多分それらはウチが世に出した最初のトコだと思います、恐らく。
そう言う点では巷がドンドン追従してる?みたいな事、それで切磋琢磨する事で色々発展してくのは良い面も有ると思ってます。
そのせいかは解りませんが、確かに昔に比べ、色々クオリティは上がったかも知れません。
が、何かさ、質はイイけど、値段も高いけど、世の中全部ウニクロみたいになってってない??と思う訳で。
だとしたらそれってけっこうダセェじゃん?って感じなのです。


コッチ(足利)で再オープンした今年の春頃、初めてご来店なされた方に(※上野時代を知らないお客さん)、『何故店ん中にバイク飾ってないの?』と質問された事有りました。
その方曰く、ブリキのアメリカンな看板とか装飾品とか陳列しててChopper飾って有って綺麗な床のフロアや木のハンガーに服かかってないと駄目らしく『コレじゃ何屋か解らんよ』と。
今度のトコは奥に単車修理用のスペース設けたのですが、たまたま修理中の単車も有ったの見て『もっとお客さんに見せるようにバイクを置かきゃ駄目だ』とお叱り受けて。
改めて自分とのギャップを感じてしまった訳ですが、もしも自分なら、ホントにそのままの店が在ったら多分ちょっと何かが違う感強くなる気がします。
もし今が1970年代とか80年代とかならイイのかも知れませんが、僕にはどうしてもそれが凄く古臭く感じて、今更感みたいなもんが強くなってしまうのかも知れません。


正直今更B級何とかムービーとか、そう言うのにも今の僕は興味なくなってしまってます。
飽きた、と言えば飽きた。確かに飽きっぽいのかも知れません。
が、どうにも金太郎飴みたいに見えてしまってるンですよ、現状の色々が。
特にMotorcycle取り巻くアレコレの現在には。


皆さんを、よりカッコ良くしたくって、この仕事して続けて来ました。
でももしこのまま僕まで、ウチまでこんな事続けてたら、結果的に皆さんをドンドン金太郎飴にしてきやしないか?みたいな疑問が出て来てるのですよ、今。
幾ら自分は真面目にやってるつもりでも、結果的に皆さんをカッコ悪い方向へ導いてしまったら…それは、それだけはホントにイヤなのですよ、マジで。


ハッキリ言いますネ。


売れるから造ってるんでしょう。
恐らく他にネタが思い付かないんでしょう。
自分が全てを牛耳りたいんでしょう。
そして…
流行ってるから良く見えるんでしょう。
それ持ってれば馬鹿にされないと思ってるんでしょう。
本当に好きな物がないんでしょう。


ですがやっぱり似たような物しか造れん業者さん達も、それ選ぶ人達も、どちらもマズイじゃないですか、このまんまじゃ。
変な意固地や嫉妬やそんなのばかりで、真のプライド感じないじゃないですか、それじゃホントに。


例えば業者さんでね、『俺の方が上手く造れるゼ!』っての、何か凄くカッペな考え方に感じるんですよ、ワタクシには。
本当に自我が強いなら『何処にもない物、誰も見た事ない物、全く新しい物造ってやる!新しい事してやる』って何故思わないんだろ???


もしかしたらビジネスとして成り立ってしまったこの世界に何かドキドキしなくなったって事なのかも知れません。
そう言うのダメなのかも解らんですネ、僕は。
結局Rock&rollもChopperも、やっぱドキドキしてたいんかも知れんです。
上から下まで、真っ黒からシマシマまで、革から生地からもう色々、デパートみたいでウニクロみたいになってくの見てて、少なくとも僕は魅力感じなくなってるのは確かです。


これは自慢とかホントそ?ゆ?んじゃなく、今までの僕も259も、ある意味、新しい事や物、又は今はもう無くなってしまった物のを新アレンジして復活とか、そ?ゆ?事ばかりして来て、ある程度、例えば他の業者さん達に、新しいネタとかを色々提供して来たかも知れません。
20年前に海賊TEE出した直後、バイク業界はおろか、普通のファッション・ブランドからもいきなり!袖口にリブ付いたシマのシャツがアチコチから出た事有りました。 それまでコト長袖のシマのシャツには必ず!袖口はリブ無しでストン!としたのしか無かったのにホント突然。
眼鏡も最初出した頃は、値段も含めて(世の中に)凄くビックリされたようですが、直後から某誌の広告にドンドン本業の眼鏡屋さんの広告が増えたり。
革ジャンペイントとしての地獄商会始めた26年前も、突然、アチコチから革ジャンペインターと言う人が現れたり、地元アメ横辺りでも『革ジャンペイント承ります』の貼り紙が増えて。
しかも僕がテキトーにつけた“革ジャンペインター”なんて総称まで勝手にメジャーになってくの見てて何か何処かで???の不安はつきませんでした。
この辺り、バンド時代も似たような事、沢山有りましたし、考えて見ればもっと遥か前、子供の頃から似たような出来事だらけだったかも知れません。


これも自慢とか変な意味じゃなく、もしかしたら僕はそんな宿命なのかも知れませんネ。
何と言うか、ホンのひと握りの部分での話ですが、世に新たな何か、新たなネタを提供する立場と言うか。
道なき道を新たに切り開くなんてカッコイイもんかは解らんけども。
ホント、その辺り、自慢とかそんなんじゃなく(てかむしろ逆!我ながらかなりウザくて面倒な宿命…もしもホントにそうだとしたら)。
でね、だからって訳じゃないのかも知れんけども、今の色々、現状色々を見ててネ、今コレからの僕はそろそろ違う何かを生まなきゃならん時期に来てる?みたいな事感じるんですよ。
ホントに僕の宿命がもしもそうなら…その役目としての僕は、そろそろ違う何か、既に無くなってしまった何かを含めて更に新しい何かを生まなきゃならん時期、その新たな、違う何かのトコへ行かなきゃならん段階かと思う訳です。
しかし後1年半ほどでワタクシ、いよいよ還暦、60歳になります。
そんな訳であと1年半、取り敢えず何かやって見ようかと思ってますが、ですがきっと僕にも限界は有ると思います。
だからもし、60歳になった頃、もしも自分なりの新たな答えが出せなかったら、その時はもう店は閉めるかも知れません。


今までホントに何度も潰れかかってます、地獄商会は。
ホントに何度も『今回のチャレンジは社運かけて』と思いながら、本当に持ってる金、全部残らずつぎ込んで何か造って来ました、何度も何度も(※実話だよん)。
でも悪運強くて何故かいつもギリギリ生き延びた(と言うか生き延びてしまった…苦笑)。
ですが、今度はホントにラストチャンス、ラストのチャレンジと思っています。 多分こう言うと『まだまだ生き延びてくれ』みたいな事、そんなお叱り受けると思います。『たかが60歳じゃん!』と。
だけどね、今まで色々やって来て、近年は色々有って(※99%プライベート)、ホント今ヘトヘトに疲れてます、ワタクシ。
それにネ、今まで本当に毎回マジで『駄目なら今度は潰れるだろう』と思ってチャレンジして来ました(※しつこいようだけどホントにマジなんョ)。
で、年齢も有って、これからは本当に少し、ノンビリゆっくりやりたいんです。
楽しく平和に単車乗ったり、好きな音楽やったり、もっと自分の事に何かのエネルギーや時間を使いたいし。
なので今後の1年半でやってこうとしてるチャレンジはマジのラストなんだと思ってるんです。
(※ようするに以後は引退&隠居する可能性含めて)


そんな訳で今、とにかく仕事含めて何か変える時期に来てると思ってます。
もしかしたらお客さんが来店する店舗って形式もあと1年半位で変えるかも知れません。
来年の今頃はもう店舗営業ヤメてるかも知れません。
ようやく移転してこれからって時にこんな話して、又お叱り受けるかも知れませんが、けっこう本気でそんな事考えてます。
いつ潰れるかも知れんと、本当に毎回綱渡りしながらの今まででしたが、勿論今回も本気でマジで何かを変えたい時期に来てます。


勿論単車は乗り続けると思いますし、ソコは変わらんでしょう。
それに間違えなく単車に関わる仕事もしてくんだと思います。何しろ好きなので。
それにもう当分引っ越すつもりも御座いませんし(苦笑)。


だけど何かを変えたいと言うか、原点に戻りたいみたいな何か…が今僕の中で滅茶苦茶モヤモヤし始めてるのは確か。
そんなこんなで例えば海賊みたいに今まで造って来た物とか、そう言う色々なのは廃盤にしてくのを何卒ご容赦願いたい訳です(その辺、後は他の業者さん達が喜ぶのかな??)。
かと言って今スグ何かを造るって決めてる訳じゃないんですよネ、ホントに。
そーゆー神のお告げ?天の指令?みたいな何かを自分に受ける為にも今は自分の中に有る古い物を吐き出す時期と言うか(※お告げだ指令だ言うと単に危ない奴っぽいですが…)。
とにかくこれからの1年半位の間で、自分なりに、ピンと来る何かに出会う為にこれからは。
でももしも出会わなかったらすみません、そん時はもう引退してもイイと思ってます。本気で。


てな訳で取り敢えず来年まではこのまま店やりながら色々模索して見ます。
突然変な話して約1年ぶりの更新、しかもせっかくの開業記念日に何だかすみません。
そして久々なのに前にも増して異常に長くなってしまって。
てな訳で今回はこの辺で。


あとなるべく近い内に何故引っ越したかとか、その辺りも色々書く予定です。
取り敢えず本日259は20周年(21周年改め)を迎えました。
相変わらず何も催しやらなかったですが…ってか昨日まですっかり開業記念日忘れてました(苦笑)。
でもって明日と明後日は親父の三回忌でお休みさせて頂きます。


★案内コーナーにも有ると思いますが、8/25(木)、26(金)、29(月)、30(火)はお休みさせて頂きます。
※9/5(月)定休日は病院の定期検診で東京へ行き、翌6(火)ももしかしたら臨時休業するかも知れませんが、それに関しては又お知らせする予定です。


では皆様20年、有難う御座いました。
もうあと少し、宜しくお願い致します。









(↑↑画像をクリックすると、全て別ウィンドウで見れます。)









Copyright (C) 1990-1996-2010-2015 ZIGOKU-SHOWKAI INC. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system